カジノとパチンコの論理学 カジノの歴史2 地獄という名の賭博場

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カジノの歴史2 地獄という名の賭博場

カジノの歴史第2回です。

前回の記事で述べたように、王侯貴族の嗜みとしてカジノが広まり、18世紀にはリゾートの華の一つとしてカジノが栄えていきました。
しかし、上流階級のカジノをまねた市井の賭博場では、甘い蜜に吸い寄せられた人々の血の華が咲き乱れ、地獄の様相を呈していきます。

庶民の賭博の発展の歴史は、私有財産制の発展の歴史と重なります。
そもそも、奴隷制度においては奴隷は財産を持つことを許されず、賭博を成すことが出来ませんでした。
封建時代には農民は幾許かの財産を持つことが許されていましたが、日本においても西洋においても領主は農民が賭博に参加することを厳禁としました。
これは、賭博に参加することによりこれの虜となり、本分である農業の生産性が低下することが危惧された結果です。
賭博は倫理上不浄なものと位置づけられ、これに参加した者には厳罰が与えられました。

賭博の本格的な流行は、フランスの市民革命により庶民の所有権が確立したことを起点としています。
労働者が私有財産を自由に処分する権利を得たことにより、余った財産を娯楽に供することが可能となったのです。
さらに、産業革命により都市に人口が集中したことで、都市部の市民の娯楽に対する需要が爆発的に高まりました。

賭博は他の娯楽とは異なり、偶然の結果によっては自身の資金を倍増させることも可能です。
そのため、賭博に勝って財産を作りたいという欲求は、誰しもが持っているのです。
この本能的な欲求に対して敬虔な宗教家をはじめ倫理観の高い人々は理性によってこれを抑え込むことが出来ますが、多くの人々は大なり小なり持っている賭博への欲求を捨て去ることは出来ません。
したがって、賭博を禁止しても賭博場を無くすことは出来ないのです。
1930年代のアメリカの禁酒法と同様に、賭博は禁止によって闇に潜り、歯止めの利かないものとなるのです。

金銭的に余裕のない人の賭博は、余裕のある人の賭博とは異なり自由に使える金銭の絶対量が違うので、問題が生じやすいことが知られています。
これは、余裕のある人には許される金銭の糊代の幅が、余裕のない人には狭いためです。
この層の人々の多くが依存症となり、分不相応の賭博によって不動産から明日の食費までをも賭博に費やし、これを取り返すため不正を犯し窃盗に手を染め、負のスパイラルに陥ることになります。

産業革命後の都市部においても、賭博に参加する労働者階級の人々には資本階級となることを夢見て財産の大半を費やし、自殺や夜逃げ、売春などで身を落とす人が相次ぎました。
都市の庶民を対象とした賭博場は当時もやはり禁止されていて、全て非公認のものでした。
そのため、依存症への対策がなされないばかりか政府による規制は全く働かず、胴元の不正も横行しました。
法律によって罰則を定めるもその効果はなく、賭博場は一向に減ることはありませんでした。

金を持て余した上流階級がバカンスで訪れるカジノとは対照的に、庶民のための賭博場は人生をも賭ける客が続出するため不正が横行し自殺者が出る、まさに鉄火場でした。
やがて賭博場の乱立していた当時のパリやロンドンでは、これらは「地獄」(エンファー)と呼ばれ人々の忌避の対象となります。

(※参考 増川宏一「賭博Ⅱ」)

次回は、マフィアの関与について取り上げます。
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