カジノとパチンコの論理学 カジノの歴史

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カジノの歴史1 上流階級の社交場

今回からカジノの歴史について取り上げていきます。

ギャンブルは人間の本能に基づくものであり、ピラミッドの壁画など有史以来様々な場面で見ることが出来ます。
古くは神の意思を得るものとしてさいころを用いた卜占が用いられ、これはギャンブルの他、占いやマジックの起源となっています。
世界各地の文明が栄えて支配階級が興ると、饗応の際にさいころを用いた賭けが行われるようになりました。

現在カジノでの様々なゲームに用いられているトランプ(プレイング・カード)は、中国からの紙の伝来の後にその技術が娯楽の分野に利用されたものです。
トランプは当時の賭博の対象であった決闘や闘鶏などとは異なり手軽に楽しめ、また、さいころよりも複雑なゲーム展開が出来るため、賭博用具の主流として流行していきました。

カジノの語源はイタリア語の"casa"(家の意)であり、16世紀イタリアの特権階級が開いたパーティーが起源であるという説が定説になっています。
酒や料理を味わい、音楽や美術品に触れ、知人と会話やダンスを楽しむといった娯楽のうちの一つとしてトランプが使われたのです。
やがて文化の隆盛とともに広がり、ギャンブルは当時の王侯貴族の嗜みとしてベルサイユやバッキンガムなどの宮殿の中でも行われました。

カジノは賭博場ではなく、上流階級の華やかな社交場でした。
互いに顔の分かる貴族たちにとって、賭けに熱中しすぎることは無粋であり、いかさまが露見することは不名誉なことでした。
紳士的に振舞うことがルールであり、これが不正や依存症に対しての一定の抑止力となったのです。

時代が下って18世紀になると、鉄道が開通して交通機関が発達し、風光明媚なリゾート地に富裕層がこぞってバカンスで訪れるようになりました。
リゾートの一部には豪華絢爛なカジノが建設され、そこは近隣の国々から来た旅行者の夜の社交場でした。
遠方からの旅行者を集めるためにカジノは従業員を訓練して不正を排除し、信用を得たことでそれが顧客の増加につながりました。
コートダジュールのマリンリゾートであるモナコや、ドイツの温泉保養地のバーデンバーデンの伝統的なカジノは当時の面影を現在に伝えています。

以上のように、上流階級の参加したカジノでは客が比較的裕福であったため、社会問題は深刻にはなりませんでした。
その一方で、同時期に庶民が参加した賭博場は鉄火場の様相を呈していました。

次回は、庶民の賭博場について取り上げます。
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カジノの歴史2 地獄という名の賭博場

カジノの歴史第2回です。

前回の記事で述べたように、王侯貴族の嗜みとしてカジノが広まり、18世紀にはリゾートの華の一つとしてカジノが栄えていきました。
しかし、上流階級のカジノをまねた市井の賭博場では、甘い蜜に吸い寄せられた人々の血の華が咲き乱れ、地獄の様相を呈していきます。

庶民の賭博の発展の歴史は、私有財産制の発展の歴史と重なります。
そもそも、奴隷制度においては奴隷は財産を持つことを許されず、賭博を成すことが出来ませんでした。
封建時代には農民は幾許かの財産を持つことが許されていましたが、日本においても西洋においても領主は農民が賭博に参加することを厳禁としました。
これは、賭博に参加することによりこれの虜となり、本分である農業の生産性が低下することが危惧された結果です。
賭博は倫理上不浄なものと位置づけられ、これに参加した者には厳罰が与えられました。

賭博の本格的な流行は、フランスの市民革命により庶民の所有権が確立したことを起点としています。
労働者が私有財産を自由に処分する権利を得たことにより、余った財産を娯楽に供することが可能となったのです。
さらに、産業革命により都市に人口が集中したことで、都市部の市民の娯楽に対する需要が爆発的に高まりました。

賭博は他の娯楽とは異なり、偶然の結果によっては自身の資金を倍増させることも可能です。
そのため、賭博に勝って財産を作りたいという欲求は、誰しもが持っているのです。
この本能的な欲求に対して敬虔な宗教家をはじめ倫理観の高い人々は理性によってこれを抑え込むことが出来ますが、多くの人々は大なり小なり持っている賭博への欲求を捨て去ることは出来ません。
したがって、賭博を禁止しても賭博場を無くすことは出来ないのです。
1930年代のアメリカの禁酒法と同様に、賭博は禁止によって闇に潜り、歯止めの利かないものとなるのです。

金銭的に余裕のない人の賭博は、余裕のある人の賭博とは異なり自由に使える金銭の絶対量が違うので、問題が生じやすいことが知られています。
これは、余裕のある人には許される金銭の糊代の幅が、余裕のない人には狭いためです。
この層の人々の多くが依存症となり、分不相応の賭博によって不動産から明日の食費までをも賭博に費やし、これを取り返すため不正を犯し窃盗に手を染め、負のスパイラルに陥ることになります。

産業革命後の都市部においても、賭博に参加する労働者階級の人々には資本階級となることを夢見て財産の大半を費やし、自殺や夜逃げ、売春などで身を落とす人が相次ぎました。
都市の庶民を対象とした賭博場は当時もやはり禁止されていて、全て非公認のものでした。
そのため、依存症への対策がなされないばかりか政府による規制は全く働かず、胴元の不正も横行しました。
法律によって罰則を定めるもその効果はなく、賭博場は一向に減ることはありませんでした。

金を持て余した上流階級がバカンスで訪れるカジノとは対照的に、庶民のための賭博場は人生をも賭ける客が続出するため不正が横行し自殺者が出る、まさに鉄火場でした。
やがて賭博場の乱立していた当時のパリやロンドンでは、これらは「地獄」(エンファー)と呼ばれ人々の忌避の対象となります。

(※参考 増川宏一「賭博Ⅱ」)

次回は、マフィアの関与について取り上げます。

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カジノの歴史3 賭博に巣くうマフィア

前々回前回にわたって上流階級のカジノと、労働者階級の賭博場とを対比して見てきました。
今回はカジノに巣くうマフィアについて取り上げます。

賭博産業は金融業と同様に莫大な現金を扱います。
賭博では偶然の介在する勝敗の結果によって多額の現金が移動するため、胴元の順法意識が低いと、勝敗結果を胴元に有利な結果に偽装して客から金銭を巻き上げる不正が見られるようになります。
さらに、この金の流れは複雑で領収書が発行されない部分があるため、これに目を付けた経営者が流れる金の一部を記録から外して懐に入れ、横領や脱税が横行するようになります。

競馬などの公営競技や宝くじ(「クラスⅡ」或いは「パリ・ミュチュエル方式」と呼ばれます)では、一回ごとの競争に厳格な監視体制を設け、また衆人環視の場で競争を行うことが勝敗における不正への抑止力となっています。
さらに、勝負前に当選金の配分が公表されており、金の流れもくじ売場と払戻場の2か所を監視するだけで良いため、ここを政府がチェックすることで不正が起こりにくい構造となっています。

しかし、カジノやパチンコなどの賭博(「クラスⅢ」と呼ばれます)では、個々のテーブルや台において金銭の得失を決める勝負が無数に行われます。
また、客が一度投入した金(チップ、玉)が何度も同じ場所を循環するため、金の流れが大変複雑なものとなります。
さらに、チップや玉は店内を循環するだけであり、飲食店であればおしぼりの本数であるとか販売店であれば取扱商品の数といった金の流れに直接紐付いたものが存在しません。
そのため、税務当局が資金の流れを調査しても不正を指摘することが困難であり、脱税が横行することになります。
賭博に対しては、政府内に賭博専門の監視・取締機関を設け、外部から厳格な監視体制を引かない限り不正や脱税などを防止することは出来ないのです。

マフィアはカジノが禁止されている地域では、非合法カジノの経営に携わり収益を直接手にしていました。
合法化されている地域では、マフィアはカジノのこの資金の不明瞭性に目を付けて経営に密かに参加して収益を横取りし、さらにマネーロンダリング(資金洗浄)にも利用しました。

その顕著な例として、アメリカのイタリア系マフィアの組織である「ラ・コーザ・ノストラ」は主な収益活動の一つとしてカジノに積極的に参画していました。
実際に、ニューヨークを拠点に戦前から戦後にかけて活動していたマフィアであったチャールズ・ルチアーノ、フランク・コステロ、メイヤー・ランスキらは賭博を通して影響力を拡大します。
彼らは非合法下のニューヨークで賭博機の利権を確立し、戦後は賭博が合法であるネバダ州のラスベガスで大規模カジノを開業したことにより莫大な資金を手中に収めました。
これにより、ラ・コーザ・ノストラでの発言力が増大し、やがて彼らは全米マフィアの頭目となるのです。

以上に見てきたように、資金の流れの不明瞭な賭博場は客に不利益を与えるにとどまらず、マフィアなどの組織悪の介入を誘い、その拡大に寄与することになります。

(※参考 谷岡一郎「ラスベガス物語」)

次回は、禁止から管理へと姿勢を変えたイギリスについて取り上げます。

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カジノの歴史4 禁止からコントロールへ

前回までにカジノあるいはその類似の賭博場の発展の歴史の中で、依存症や不正、脱税、マフィアの関与などどいった負の部分が顕在化し社会問題となったことを述べてきました。
今回はこれらの問題に対処した英国の取り組みについて取り上げます。

賭博産業は娯楽の一つであるため、人心に余裕がない時代は衰退する運命にあります。
カジノや賭博場もその例にもれず、欧州では戦火の及んだ地域を中心に軒並み潰れていきました。
大戦後、復興が進み経済状況が改善するにつれて、徐々にこれらが復活していくことになります。

初回の記事で述べたとおり、欧州においては上流階級の社交場としてカジノがリゾート地に古くから存在していました。
また、違法ではあるものの、第2回の記事で触れたカジノと類似した鉄火場の賭博場が都市部に再度広がっていきました。
大戦後の欧州においては冷戦の緊張感はあったものの大きな紛争はなく、経済の発展によって労働者階級から中産階級へと生活が向上する人々が多くなったこともあり、余暇としての賭博の需要が高まりました。
リゾート地のカジノは既に王侯貴族の独占物ではなくなり中産階級からの客が増えてゲームに興じる一方で、都市の問題ある賭博場にも多くの客が訪れるようになっていきます。

当時の欧州各国は概ねカジノについては法整備が不明瞭で、賭博場については禁止という姿勢をとっていました。
しかし、カジノと賭博場との区別すらも必ずしも明確ではなく、賭博全般についての議論が高まっていきます。

これに対処すべく、英国の王室委員会はカジノを含む賭博全般に関する報告書をまとめ、カジノに関する規制を法律で明確に定めて国がコントロールすることを方針としました。
その報告書の要点は次の通りです。

王室委員会は三年半にわたる審議の結果、ギャンブルは、コントロールすべきであるが、禁ずべきでないという結論に達した。
国家は社会的に問題とならない限り、一般国民の楽しみを阻害してはならない。(中略)
禁止したためにかえって犯罪を生むものである。(中略)
ギャンブルは適正な範囲で行われる限り、人の性格や家庭および社会一般に対して大きな害毒を流すものとは考えられない

(谷岡一郎『カジノが日本にできるとき』より
 谷岡氏が 公営競技問題研究会『公営競技の現状と問題点』から引用した部分を引用)

報告書に基づき、英国では1960年に法律が制定されカジノが解禁されました。
さらに、68年の同法の改正で次の3つの目標が設定されます。

1 犯罪の追放(犯罪組織の関与をなくす)
2 多すぎる利益の駆逐(儲けすぎないようにする)
3 客にとってフェアなゲームが保証されること

(谷岡氏の上記の書籍より引用)

この法律によってゲーミング委員会が設置され、所轄の保安警察官の業務の一部としてではなく、賭博専門の行政機構が厳格な監視にあたることとなりました。
英国では、現在でもカジノの施設について小規模なものに限るなど制限が多いため施設数も約120程度しかなく、顧客に対しても事前の会員登録やドレスコードを課すなど抑制策をとっています。

2001年には再度、賭博に関する報告書がまとめられましたが、この中において上記の合法化の哲学が間違っていなかったこと、3つの目標が達成されたことが確認されました。

以上のように、英国においてカジノに対する姿勢を禁止から国によるコントロールへ改めたことにより、社会問題が最小化することが実証されました。
賭博は政府による厳格な監視体制によって不正や脱税、マフィアの関与が根絶され、賭博性の管理によって依存症を最小限に抑えることが可能なのです。
この哲学は米国や他の欧州各国の賭博規制にも採用されていくこととなります。

次回は、米国におけるカジノの発展について取り上げます。

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